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■ 4 ピザ屋と大工 | ||
◇マロンビンビ from バイロン・ベイ
これはサーカスフェスティバル3日目の朝のできごと。 フェスティバルの会場がある“マロンビンビ”は、僕が滞在していた“バイロン・ベイ”からはバスで20分ぐらいの場所にあり、落ち着いた小さな町である。 昨日まではバスを使って二つの町を往復していたが、フェスティバルで知り合った日本人の友人Mの勧めで、今夜は会場のすぐそばにテントを張ることした。 詳しく話しを聞くと、どうやら参加者の多くは夜の部まで楽しむためにテントを張っているらしい。 運良く、2〜3人用のテントを持ってきていたので、最終日は最後まで参加することにしたのだ。 もちろん、テントは非常時の備えです(笑) |
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いつもより早めに起き、相部屋なので他の人たちを起こさないようにしながら昨夜、必死に荷物を詰め込んだザックを引っ張り出す。 食べかけのパンをたいらげ、紅茶を飲んで軽めの朝食を済ませて受付に向かう。 部屋のkeyを返し保証金の10A$を受け取って、バス停に向かった。 早朝にもかかわらず、日差しが暑い。 背中の荷物が肩に食い込み、さらに暑い。 無事、バスに乗るときには、10分程度の“歩き”なのにいい汗をかいていた。 20分の休憩の後、マロンビンビのバス停からまた歩きだす。 さらに気温があがり、足取りを重くする。 ちょうどそのとき、車のクラクションが鳴った。 ふと左を向くと、白いトラックが止まっていて、運転手がなにやら僕に話しかけてきた。 とっさに自分が何かおかしなことをしたのか考える。 暑さで、白いトラックが“パトカー”に見え、職務質問された気分になったわけではない。
運転手の話とジェスチャーから、どうやら「車に乗っていけ」ということらしく、僕は少し困った。 その運転手は男性で、これから仕事に行く途中という感じがしたので、僕の目的地のフェスティバルは町の中心地から離れているから送ってもらうのは迷惑になると思った。 正直に目的地を言って、彼の申し出を断ろうとしたら、偶然にも同じ行き先であった。 なんと、フェスティバルの会場でピザを売っているらしい。 「地獄に仏とはこのことだ」といわんばかりに、僕は車に乗せてもらうことにした。 |
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すっかり、浮かれてしまった僕は彼が荷台に荷物を乗っけろとジェスチャーしていたのを取り違えて自分ごと乗ってしまい、彼を驚かせてしまった。
クーラーのきいた車内の中で、“ナマの英会話”が始まる。 そこで彼がフェスティバルの会場でピザ屋であることがかろうじてわかった。 昨日、彼の店でピザを買い食べたことと感想を伝えたら喜んでくれた。 そんな話をしているうちに会場につき、彼に感謝を伝えてお昼に食べにくることを約束した。 荷物を背負うまえに、お辞儀をしてテントを張る場所を探すため、また歩き始めた。 彼は笑って、店の準備をしはじめた。 |
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◇tea or coffee ?
少し歩くとすぐにテントが張ってある場所に着き、なるべく平らで、テントが風で飛ばされない場所に荷物を下ろす。 その日は風が強く、しかもまわりに何もないのでテントを張るのも一苦労。 骨組みを組み立て、テントを張ると持ち物が飛ばされ、それを取りにいくと今度はテントが飛ばされそうになり、一人で悪戦苦闘しながら寝床を整えた。 すると、近くのテントの前にいる白髪のおじさんがなにやら僕に話しかける。 朝早くからゴソゴソしていたので怒られているのかと思い、話を聞いていると「tea or coffee ?」と耳に飛び込んできた。 手招きのジェスチャーと合わせると、どうやら彼は僕を朝食に誘ってくれているらしい。 少なめの朝食に激しい運動をした僕は、その御好意にためらうことなく飛びついた。 テントが飛ばされないようにしっかり固定してからそっと彼のテントに入ると、そこはテントというよりは車とテントの間にシートをかぶせた空間で小さな丸いテーブルがあり、そのそばでは携帯コンロでお湯を沸かしていた。 勧められたイスに腰を下ろすと先程の質問に「tea」と答えたので、早速カップが用意され紅茶のパックに沸騰したお湯が注がれた。 そして、彼は次に半径10cmぐらいのドーム型のパンを差し出し、「ココの地元のパンだ、うまいから食べなさい」と言った。 パンをちぎった大きさで、“遠慮”していることを表したつもりなのに、逆にもっと食べなさいと勧められてしまった。 自然に合掌して「いただきます」と言った。朝食を食べながら、簡単な自己紹介を交わすと、なんと彼はカーペンター、つまり大工であり日本の建築に非常に興味があることがわかった。 しかも、何度も日本に旅行しているらしく、色々な日本の地名がポンポンでてきて、なぜか頬が緩んだ。 すると、彼は鞄を持ってきてその中から、日本の建築物の写真を見せてくれた。 そのとき、彼は僕に「日本の農家は全部、民家なのか?」という質問をされ、少し言葉に詰まりながら、必ずしもそうではないことを説明した。 パンを食べ終えたところで、彼に趣味を尋ねてみた。 すると、彼は「春画集め」だと答えた。 僕には彼が少し嬉しそうに見えたのは、気のせいだろうか? そんな感じで男二人楽しく会話をしていると二人のしゃべり声で目が覚めてしまったのか、テントから彼の奥さんが起きてきた。 奥さんは僕を見て、居て当然のように挨拶をしてくれたことに僕は驚き、感心してしまった。 見知らぬひとに対して、まず拒絶するのではなく、受け入れるということは土地の狭い人間には簡単にできることではない。 さすがオーストラリア、大きいのは大陸だけではない。
その隣には高校2年生ぐらいの娘さんが寝ていたらしく、彼女も目を覚ました。 さすがに彼女は僕に対して警戒しているようであった。 すると、彼は「娘は学校で二年間、日本語を習っているんだ」と教えてくれたので、少しでも警戒を解こうとして日本語で「オハヨウ」と話しかけた。 反応なし。
聞き取れなかったのかと思い、もう一度ゆっくりと「オハヨウゴザイマス」と話しかけてみても反応がない。 両親は冗談半分に彼女になにか話しなさいとつつく。 彼女はなにやらもじもじして、時より奥さんになにか英語で話して、こっちにはなにも帰ってこない。 少し方向を変えて、僕が中学一年で習った英語の自己紹介程度の内容を日本語にして話しかけてみた。 …反応なし。 しかたなく諦めた。
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◇おりがみ
すっかり馴染んで楽しい会話をしていた僕は、この家族になにか恩返したいオモイでいっぱいになっていた。 できれば、なにか日本的なもので、この日本好きな家族に恩返しできないかと考えていた。 「ジャグリングは日本的でないし、ましてやサーカスフェスティバルでいくらでも見ることができるしなぁ〜」とあれこれ思案していると名案が閃き、席を外して自分のテントに戻りザックの奥を探った。 僕はオーストラリアで尋ねる予定のブリスベンジャグリングクラブの人やシドニーでお世話になる人へのお土産に、折り紙と日本画のポストガードを持ってきていたので、そのあまりをプレゼントすることにしたのだ。 彼のテントに戻り、持ってきた和紙の折り紙を取り出して折り始めると彼は興味をもってじっと見ていた。 急ぎながらも、懇切丁寧に紙を折っていき“鶴”が完成したが、単語が浮かばなかったのでそのまま渡すと彼は喜んで、そしてそれを娘に渡した。 さすがに、彼女も折り鶴には興味津々で、尻尾のところをもってクルクルと回して観察していた。 続けて、日本画のポストカードから、彼が気に入りそうな着物の女の人の絵のポストカードを彼に「ユー、プレゼント」と言って渡すと彼はいらないというジェスチャーをしたが僕は譲らずに渡すと受け取ってくれた。 受け取るとスグに彼はペンとそのポストカードを僕に差し出し、「住所を書いてくれ」と言ってきたので、英語で日本の住所を書いた。 最後に何度もお礼を言ってテントから外にでると、太陽はもう、真上にあった。
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*A$(オーストラリアドル、1A$=70円前後) | ||
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